しばらくさぼってしまっていた、この日記ですが、今日は今年8月に那須本部の夏季研修において、皆様の前でお話さえていただいた、私の体験談を紹介させて頂きたいと思います。
体験談は以前、分教会でもさせていただいたのですが、こんかいの那須本部での体験談は、娘の二度目の骨髄移植から三年目を迎えた節目ということで、たくさんの方の前でお話させていただく事が出来ました。
昨年、娘の事や、そのほか沢山のことでお世話になっている、先生より本部で体験談を勤めさせていただく事で、娘さんの病気に終止符をふてる節目になるから…そうお教えいただきました。
ただ、昨年はまだ時期尚早ということで、那須本部ではなく、分教会で勤めさせていただくことができました。正直、分教会で勤めさせていただきほっとしていた所、会長さんより今年本部でとお話いただき、とても緊張いたしました。
ただ、私どもの体験をお話することで、沢山の方の心が明るくなっていただければ、苦しみの中から、明るい小さな光が見えてくれれば…そう思い、出来ないながら勤めさせていただきました。
少し長くなりますが、ここでその内容を紹介させて頂きたいと思います。
本日は、長女の身上を通じて、私達家族が親神様より学ばせて頂いた、大切な体験をお話させて頂きます。
今から5年前、当時4歳だった長女が白血病と診断されました…
過去に同じ病気で友人を亡くした私は、その病名を聞かされた時、あまりのショックに呆然といたしました
緊急入院となった大学病院で、幼稚園の制服姿のまま、腕に点滴をつけられ、
「いったい自分に何が起きたのか」と、不安そうにしている娘を見たとき、私はただただ悲しく、娘を抱きしめながら、親神様どうか、この子をお救いください…何度もお願いし続けました、
ただその後、医師より、現在は医学の進歩から、小児白血病の7割の子は一年間の抗がん剤治療によって治ることを聞かされ、少しだけほっとしたのですが、とにかく親神様に御守護を頂きたい、長女を身上から救っていただきたいと、私は自宅の神様と、集会所をお許しいただいている母のもとへ通い、親神様に願わせて頂いておりました。
そのころ母から、所属の分教会や、東京出張所へも運ばせていただいて、お伺いを立てていただきなさい、何度もそう言われておりましたが、当時の私は人が沢山集まる神館よりも、根株様の多摩墓地で静かに祈らせて頂く方がいいからと、母の助言をまったく聞き入れませんでした
今、振り返ると、私は生まれてすぐに甘露水を頂き、親神様にも毎日自宅の神様に手を合わせているから、絶対に大丈夫なんだ…、今までにも、いろいろなご守護を頂いていたし、私たち家族は特別だから平気なんだ、そんな高慢な心を持っておりました…。
しかし、そんな心では娘は救っては頂けない、そう教えられるように数日後医師から辛い知らせを宣告されてしまいました。
それは娘の病気のタイプが、白血病の中で最も治りにくい、染色体に異常をもったph1陽性という恐ろしいタイプであったという知らせでした。
このタイプの場合、普通の治療では、治ってもほとんどが再発してしまい、治癒を目指すには、骨髄移植を受けなければならない、ということでした。
骨髄移植という治療がどういうものか、恥ずかしながらそれまで私はまったく知らず、医師から治療の内容を伺うと、娘の体に通常の治療以上の大量の抗がん剤を流し入れたのち、放射線を全身にあてることによって、自分で血液を作れない無の状態までにした後、ドナーさんからの骨髄を点滴で流しいれるということでした…
また、担当の医師は今までに三人のお子さんの治療に当られたそうなのですが、残念ながら、三人すべてのお子さんが亡くなられてしまったという、本当に辛い知らせを聞かされました…
そのお話を聞いた後、病室で娘の姿を見たとき、私も妻も涙を抑えるのに必死でした。まだ4歳の長女も私たちが別室で医師より説明を受けている間、そうとう不安だったようでした、それでも心配な様子を私たちに見せまいと、笑顔で座っている娘を見たとき、愛おしくてたまらず、私は娘を抱きしめて、「こんなに思いやりのある優しい子なんです、親神様、どうかこの子をお救い下さい…」そう真剣に願わせていただきました。
その日をきっかけに私は、母の助言を聞き、久しぶりに東京出張所へ運ばせていただきました…。
その日は、用木成神祭の日でした、久しぶりに教主様のお姿を拝見したとき、涙が止まらずに出てしまいました。離れた場所にいながら、北の間で静かに名号を唱えている教主様のおひざの上にすがって、大声で泣いている、私はそんな不思議な気持ちになりながら、名号を唱えておりました…。
同時に、自分勝手な高慢な心得違いから、こうして神館へ運ぶことに遠のいていた事を、深く反省させられました。
それから数日後、娘を母に任せて、今度は妻と共に再び東京出張所へ、お伺いをして頂くために運ばせて頂きました。
お伺いの間では、担当の先生を通して、はじめに親神様から、心の持ちようなど、やさしく御教えをいただきました。
すべて通らねばならぬ道、暖かくおさとしいただき、そののち、娘の病の根元、私と妻の前生因縁をお伺いによって、お教えいただきました。
前生、私と妻は共に夫婦で沢山の人をつかって仕事をしていましたが、心が冷たく我が子のみ溺愛していたそうでした。疫病がはやり、たくさんの子供達が命を落としていく中、病気をして働けなくなり、私ども夫婦に助けを求めて、すがってくる方々を心無く突き放し、追い払う為に人までやとっていたそうでした、結果その方たちの子供達は、なすすべもなく命を落としていかれたそうです。
こうして自分も子供の命の危険に直面して、初めてその方たちの気持ちがわかり、心から反省いたしました。その後、先生からその前生因縁のお詫びをしっかりするよう御教えいただきました。
思い返すと前生のみならず、今生も心汚して、冷血に生きている所があり、反省する事ばかり。前生因縁を深くお詫びして、今生は決して心汚さず、生きていこうと妻とともに深く反省しながら、母と娘の待つ病院へ戻りました。
また親神様はリンパ性白血病という病の元は、冷たい心が原因なので、潤いと優しさを忘れることなく、暖かい心でにちにち通るよう、お教え頂きました。
それから私と妻は、ともに前生の罪をお詫びさせていただきながら、同時に娘の骨髄移植の準備など進めさせていただいておりました。当初の検査結果は、私の骨髄を使えるということだったので、私自身毎日、集会所の神前で胸すましをさせていただいておりました。娘にも、パパが中に入って行って悪い病気をやっつけてあげるからね、そう毎日話しておりました。
所がある日、私の血液から、B型肝炎の抗体が見つかったという知らせを受けてしまいました。見つかったといっても、遠い昔にかかった形跡があり、その闘った後があるということでしたが、移植の際、娘にとって一歩間違えると命取りになる可能性があること、また、細かくは二座不一致と少しズレがあり、娘の別の臓器などを、攻撃してしまう恐れもあることも含めて、ドナーとしてはふさわしくないということを医師より告げられ、急遽骨髄バンクを通じてドナーさんを探すことになりました。
振り返るとその時ほど、愕然としたことはありませんでした。小さな希望の光が見えてもすぐにその光は断ち切られ、暗闇に家族で引き摺り下ろされてしまう、そんな心境でした…
その時妻から、「自分の骨髄で治してあげる、その考え方が高い心だったのかもね…、」そう言われ、それを期に私は、もうあがくのはやめて、親神様にお任せして通らせていただこう、そう思わせていただきました。
抗がん剤によってすっかり髪の毛の抜けおちた娘にも、
「お父さんでなく、別の優しい人が、祐ちゃんを助けてくれるからね…」
そう言い聞かせながら、それから私たちは、骨髄提供をしてくださるドナーさんが現れてくれることを毎日、親神様にお願いしながら待ち続けました…
その後、前生のさんげを終え、私と妻は再び出張所に運ばせていただきました、
そこで親神様より、「道はつけてあるから、案ずることなく、そなた達は潤いの心を忘れることなく、しっかり心低く通るよう」そうおさとしを頂きました。
そのお言葉をいただいた同じ日に、医師より、ドナーさんが決まりましたよ、という本当に嬉しい知らせを聞かされました。またドナーさんは本当に優しい方で、早急に移植を受けなければならない、私たちの勝手な都合にも、心よく応じて下さるとのことでした…
私たちは、親神様のご守護を頂き、「あぁ、ありがたい…これで娘は救われる」そう思わせていただきました。
その後、親神様のお導きによって、本当に不思議なくらい順調に移植の日を向かえることが出来ました。移植当日、クリーンルームに届けられた、ドナーさんの愛情と優しさのこもった真っ赤な骨髄を見せて頂いたとき、私も妻も、うれしくて涙が止まりませんでした…
これで、もう娘の体に強い抗がん剤を流さなくてすむんだ…、ドナーさんの暖かい骨髄によって、今度は、薬によってぼろぼろに傷つけられてきた、小さな体をきれいに治してもらえるんだ…そう思うと、本当にうれしくてたまりませんでした。
「祐ちゃんを助けてくれるために、やさしいお姉さんが、すごく痛い思いをして、こんなに沢山の命の血をくれたんだよ…」移植の最中、娘に私はそう話しました、それを聞いた小さな娘は、自分も頑張るんだ、病気をやっつけるんだ…そう思ったのか、口内炎などの辛さにも耐え、頑張ってとても苦い薬もしっかり飲んだりと、辛い一カ月間の移植を乗り越えてくれました…
そしてお陰様で無事移植は成功…
それから2ヶ月後、17年8月、娘は無事元気に、退院を迎えることが出来ました。
退院の日、医師から、バンクのドナーさん、もしかしたら身内ではないかというくらい拒絶反応が少ない順調な移植でしたよ、そう教えられました。あらためて、親神様のご守護のありがたさを思い知らされました。
しかし、私達夫婦は娘が退院したのち数ヶ月で親神様からあれだけ言われていた、潤いの心、感謝の心を忘れてしまいました。私は些細なことに腹を立てて子供に怒鳴り散らしてしまったり、妻も部屋の中で大声で走り回る子供達にいら立ち、腹立ちを抑えられなくなってしまったり…、入院中家族がバラバラになっていたころ、夢にまで見た、一つ屋根の下で家族が共に暮らせるというありがたさ…その大切なことを忘れてしまっておりました。
その後、18年1月、娘の白血病が再発…、
その地獄のような知らせを受けた日のことを今でも忘れられません…
娘に、「また入院する事になってしまったんだよ、」そう話したところ、娘は大声で泣き崩れてしまいました。私も妻も悲しくて涙が止まりませんでした。
あんなに頑張って、骨髄移植を乗り越えたこの子に、再び辛い治療を受けさせなければならない…、私は娘を抱きながら、胸が締め付けられる思いで、本当に辛くてたまりませんでした。
最初は大声で泣き崩れていた娘ですが、その後静かに、弟達とテレビを見ていました、でも、時折私達に気づかれないように、遠くを見ては涙を拭いていました。
また、娘は、心配している私たちに、「また、帰ってくるから、帰ってきたらいっしょにあそぼ…」そんな手紙を辛い中、一生懸命に書いて、こっそり神様の前にのせていました…。私と妻はその手紙を見たとき、涙がとまりませんでした…。
正直その時は、「道はつけてある」そうおっしゃって下さった、親神様のことも信頼できなくなっておりました。
生まれてからずっと手を合わせ続けて来た、親神様は何だったんだろう?本当にいらっしゃるんだろうか?そんな投げやりな気持ちになっていました。
翌朝、再入院のため大学病院へ到着、はじめは我慢して笑顔だった娘も、再び腕に点滴をつけられる事を知ると、悲しくなってしまい…処置室の中、大声で泣き叫んでいました…
その後、再発した病気の影響から、娘は高熱を出してしまい、さらに血圧も170以上と子供としてはとても危険な状態に陥ってしまいました。
幸いその日は、担当の医師と看護婦さんの適切な処置によって、娘の高熱も高い血圧も、無事下がってくれましたが、リスクの高い二度目の移植という事に加え、再発によって今までの抗がん剤を覚えてしまい、病気の細胞も強く変わってしまっている事から、それから先、今まで以上に不安になるような事が、本当に沢山続きました。
そんな暗い気持ちの中、私と妻は親神様にお伺いするため、東京出張所へ運ばせていだきました…、そこで親神様から「感謝が足りない」そう厳しいお言葉を告げられ…同時に先生から、なぜ川口西分教会へ運んでいなかったのですか?娘さんの病名、リンパ性白血病のリンパは生命の流れ、その大切な道の流れを切ってはいけませんよ、あなたは川口西分教会という道からつながっているのですよ…そうお叱りのお言葉もいただいてしまいました。
私はその時、恥ずかしながら、今までにあれだけ大きなご守護を頂きながら、川口西分教会の会長さんはじめ、信徒のみなさんに何一つ報告をしていなかったことに気がつきました。そして、子供のころから可愛がってくださっていた、出直しされた向山むら先生に対しても、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました…。
それから私は、恥ずかしながら数年ぶりに、親教会の川口西分教会へ運ばせて頂きました。
分教会では、娘の病気のことを知り、会長さんはじめ、心配して下さった沢山のみなさんが、本当に暖かく、三日間にわたって、心のこもった願い勤めをして下さいました。
そのときは本当にありがたく、皆様の暖かく優しい心を背中に感じて、うれしくて、うれしくて、涙が止まりませんでした…。
またそこで、会長さんの奥様の台を通じて親神様より、私の刃物のような口についてのおさとしをいただきました…、「言葉を言の刃にしてはいけません、」
一度目の移植の際、潤いと優しさの心を持つと約束したにも関わらず、私はその後も、人に対して恐ろしい刃物のようの言葉を、発し続けていたことに、改めて気付かされました。
そして、今回は私の骨髄で再移植をすると聞いた、ある先生から、「お父さん、こちらにいらっしゃい、」やさしくそう仰って頂き、神前の横でおさずけをして頂きました。
今まで、心離れていた私のような者を、分教会のみなさんは、本当に暖かくやさしく包んで下さり、改めて私は道の流れのありがたさに感謝させて頂きました。
お陰様でその後まもなく、娘は神奈川県立こども医療センターという、小児移植でも有名な、最新の医療設備が整った病院へ、奇跡的に転院することができました…。
再移植予定だった前回移植した病院から、現在小児移植の順番がとても込み合っているからと断られてしまい、転院先も決まらず真っ暗闇をさまよい歩いていた私たちに、小さな一筋の光が射し込んで来てくれた…、これから娘が移植をさせていただく、その病院を見ながら、私は心から親神様に感謝させていただきました。
その後も、私達は何としても娘を救いたいと、何度もお伺いへ運ばせて頂きました。
そこで親神様から、私と妻、それに私達の先祖にまつわる因縁についても、次々とお教え頂きました。その中に、前生、私が娘と親子だった一代があり、出世の目的で、この子を捨ててしまったことがあるから、しっかりその事をお詫びをして、今生は絶対に何があっても捨てずに、この子を守り通すことを約束するよう、お教えいただきました…
振り返ると、娘はまだ赤ちゃんの頃から、夜中に私がそばに居ることを足で確認していたり、いろいろ思い当たることがありました。
また、二度目の移植では、親神様から大丈夫という、安心できるお言葉を頂くことは出来ませんでした…。
そんな中、私達は何度も何度も、我が子の死という恐怖に怯えさせられるような、医師からの知らせを聞かされ、生きた心地が致しませんでした。
そんな時、妻が私に、「今回は、親神様から大丈夫というお言葉は頂けないけれど、私達にとってはそれで良いのかもしれないね…、でないと私達はまたすぐ高い心になってしまうからね…」そんな事を話していました。私もそれを聞いて、不安ながらも、そう思わせて頂きました。
また親神様は、「娘の身上、救うも、救わぬも、そなた達、親の心次第…、前々から伝えている、潤いと優しさの心も、上辺だけでなく、その奥深くまで、すべてが暖かくなければいけません…、そしてこうして生かされている事を心から感謝するように…そうおさとし頂きました。
私達が親神様の御心にどれだけ近づけるか、お仕込みを頂いている、出来ないながら私は、この日々を感謝して通らせて頂こう、妻と共にそう思わせて頂きながら、それから数ヶ月、不安だらけの道中を必死に通らせて頂いておりました。
そして、移植を間際にしたある日、月日親神様から、「この親を信じて、そなた達よ、神の太綱を放して下さるな…、」そんな力強く、暖かいお言葉をいただきました…。
そのお言葉を頂いた時、私と妻は、親神様がつけて下さった、私たちが通る道は、前回の移植で終わりではなく、こうして二度目の移植という続きがあった…、だから、決して希望をすてることなく、親神様の教えを今度こそはしっかりと、この胸に修めながら、この果たしの道中を頑張って通りぬけよう…、そう心定めをさせて頂きました。
心からそう思わせて頂いてからでした…、今まで起こっていた不安な出来事が、不思議なくらい次々と解決して、お陰様で娘は、遺伝子レベルでも、カンカイ状態という悪い細胞が限りなくゼロに近い、良い状態にまで、たどりついてくれました。
そして、平成18年6月、今度は父である私の骨髄を使って、二度目の移植を迎えることができました。
移植当日、麻酔から覚めた私の元へ、骨髄の袋をぶら下げた娘がうれしそうに姿を見せたときの光景が、いまでも頭に焼きついております…
娘から照れくさそうに、「パパ、血をくれてありがと…」そう言われた時は、本当にうれしくてたまりませんでした…、また私自信が移植のドナーを経験させて頂き、以前ドナーさんが味わった気持ちも身をもって知ることができました。
骨髄採取をした骨盤の痛みも知ることができ、改めてドナーさんに対して、心から感謝をさせていただくと同時に、その暖かい恩を生涯忘れず、今度こそは絶対に娘を守り抜こう…そう心に誓わせて頂きました。
また、私の骨髄を使うことについて、前にふれましたが、B型肝炎の抗体のことや、ミスマッチによる不安もあしましたが、親神様より、尊いおさづけの理について、おさとしを頂きましたので、私は移植を間近に控え、私の骨髄が娘の病気のみ攻撃して、他の臓器を傷つけないよう…、そして娘の体に無事になじんでくれるよう、集会所長である母にお願いして移植の数日前より、毎日おさずけを授けさせて頂いておりました。
そして移植から一カ月、娘にとって再び辛い日々が続きましたが、お陰様で二度目の移植は無事に成功、やはり途中で拒絶反応による湿疹など全身に強く出ましたが、娘は小さな体で頑張って二度目の移植を乗り越えてくれました。
そしてその年の10月、娘は無事に退院を迎えました…
退院後、定期的に骨盤から太い針で骨髄を抜いて調べるマルクという、娘にとって、とても辛い検査が何度もありました。
そして二度目の移植から3年目の、平成21年6月、娘にとって最後のマルク検査がありました…。お陰様で遺伝子の小さなレベルにおいても、病気の再発は見られませんでした…。担当の医師からも、娘は「本当によく頑張ったね…」そう、やさしくほめて頂き、お陰様で現在娘は、元気いっぱいに小学校へ通わせて頂いております。
ドナーさんのやさしい心…、たくさんの方々に頂いた強い祈り…、そして、親神様のあざやかな御守護に守られ、毎日、笑ったり泣いたり…、時々移植の影響で出ている皮膚のことを、他の子に白い目で見られ、泣かされてしまうこともありますが、それでも娘はたくましく元気いっぱいに笑顔で頑張っています。
そんな娘の楽しそうな姿を見るたびに、心からありがたく感謝させていただいております。改めてお世話になった沢山の皆さま、本当にありがとうございました…
そして教主様には、一昨年ここ那須本部での七五三のおり、たった一人の参拝者だった娘に、暖かくお祓いをしていただけましたこと、心から感謝しております…
お陰様で、娘は現在とても健康に生活しております。
本当にありがとうございました。
また、こうして私に、本部夏季研修会での体験談発表という機会をお与えくださいました、川口西分教会の会長さんには、改めて心から感謝しております。
またこれからも、出来ないながら勤めさせて頂きますので、御指導のほど、どうぞ よろしくお願いいたします。
これで、私の体験談を終わらせて頂きます、ありがとうございました…。

とても長くなってしまいましたが、これが当日読ませていただいた、体験談です。
原稿がなかなか出来上がらず、めちゃめちゃな状態の原稿を夏季研修の前日、川口西分教会でお世話になっている先生に助けていただき、ぶじこうして仕上げさせていただく事が出来ました。
原稿を綺麗に作り変える作業を、夜、那須本部の神前の前で一人でさせていただいた事が今でも思い出されます。
また、体験談を無事終えた事で、ほっとして油断していた私達夫婦に、親神様は夏季研修のおりお世話になった先生を通じて、大切なことを改めてお教え下さいました。
それは、節目についてのことですが、私達は体験談を勤めさせていただいた事で、娘の病気との闘いに終わりを告げる節目になったと、勝手に喜んでおりました。
たしかに一つの節目ではありましたが、節目の本当の意味を分かっていませんでした…
節目からは新しい芽がでて、それが大きく育っていく…
その節目からでた、新しい芽を美しい芽にするか、それとも真っ黒い芽にするか…それは私達の心しだい…先生はそのような大切な事を、お手紙を通じてお教えくださいました。
そして、夏季研修当日、那須本部の神前で、本当の意味で上辺だけでなく、深い潤いの心を持って生きるという誓いは、親神様とそして、たくさんの、おうかんみちの方々の前で誓ったことである…そう気がつかせていただく事が出来ました。…
振り返ると、大変な誓いを立ててしまったのだ…そう思いました…
出来ないながらも、頑張らねば…こうして日記を書かせていただきながら思っております。
あらてめて、お世話になった、先生、皆様、本当にありがとうございました…
また、最後までこの長い日記を読んで下さった方、お疲れ様でした、そして、ありがとうございました…
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